こーとーし六十のおじーいさーん♪
いまではまったく耳にしない懐かしい童謡がある。
懐かしいと云っても、それは古過ぎる歌でもあるのだ。
近頃では昔の童謡はあまり歌われなくなったらしく、何だか寂しいと思う気持ちと同時に、自分もいよいよ年老いたのだといまさらのように思わずにはいられない。
懐かしい童謡であれば同じ世代なら当然知っているだろうと思うのだが、意外にも周りでは知らない、そんなの歌ったことがないと云う声が多いようで、これには驚いてしまう。
何故こんなにいい童謡なのに、皆知らないのであろうかと不思議にさえ思える。
どうやら昭和30年代産まれ以降の世代には、この「船頭さん」という童謡などはほとんど聞いたり、唄ったりした機会はなかったようなのである。
それほど古い歌だとは思ってもみなかったのだが、調べてみるとどうやらオリジナルの歌詞は戦時中と云うこともあって、当時の背景が歌詞にも影響していることが大きな理由なのだろうと思われる。
船頭さん
この童謡の歌詞で気になるのが、「ことし六十のおじいさん」とか、「歳は取っても」
という辺りであって、その年齢であれば少なからず一瞬引っかかてくるというわけである。
日本人の平均寿命が大きく伸びた今の世相から見れば、それこそちょっとした違和感には違いあるまい。
戦前であれば六十代という年齢はそれなりに老年であろうし、当時一般には老人世代という捉え方がされていたのだろう。
「ことし六十のおじいさん」なのに、ここではいまだに船頭というきつい仕事をこなしているというニュアンスであろうか。
時の流れと共に世の中は変わり、唄われる歌も変わっていくのは致し方ないが、あらためて「ことし六十のおじいさん」というのは何かしら寂しいものを感じてしまう。
そういえば昔の六十代といえば年代的にはすでにお爺さんでありお婆さんであったはずで、考えてみるとたしかにそういう感じではあったのだ。
それを思えばいまの六十代はまだまだ若いのであって、後期高齢者に比べればそこそこ活躍しているはずなのだ。
昔は老人だけではなく元気な若い船頭さんも居たとは思うのだが、歌が唄われていた時期は丁度戦時中であって大方の若い世代は外地に出征していたということなのである。
だからこの童謡の船頭さんは、「ことし六十のおじいさん」でありながらも地元の渡し船をぎっちらこ、ぎっちらこと老骨に鞭打って漕いでいたのだ。
船頭さんでふと思い出したのだが、以前江戸時代の「川柳」を調べていたとき、数多くある作品の中に「その腰で 夜も竿をさす 船頭さん」というのが紹介されていたのだが、当然、船頭さんという職業は若者世代が多かったはずなのである。
要するに、これなどは大川を漕ぎ渡る若い船頭さんのことであったのであろう。
竿をさすのは簡単であるが、舟の櫓をこぐのは簡単には真似できない。
「ことし六十のおじいさん」はさすがに竿をさすのではなく、「ぎっちら ぎっちら ぎっちらこー」と櫓をこぐのであって、当然のことながら操船するということでは相当な修練が必要だったのである。
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