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エッセイや歴史情報なども織り交ぜて書いております。柔軟に題材を絞って書いていきますのでどうかよろしくご笑覧のほどお願い申し上げます。

徳川家康が天下取りに本気になった出来事

天下人秀吉が残した莫大な遺産とは

地下人から天下人にまで上り詰めた豊臣秀吉には、予想外の最晩年が待っていた。

秀吉は晩年、体力が衰え病床に伏すようになると次第に惚け始め、まともに政務が執れない状況に陥った。

当面の間は石田三成らの側近が政務を切り盛りしていたが、それだけでは対応できない事態も出来してきた。

そこで豊臣政権下の有力大名らによる、五大老徳川家康前田利家毛利輝元上杉景勝宇喜多秀家)と五奉行前田玄以浅野長政増田長盛石田三成長束正家)を置くことで、秀吉亡き後は後継者である秀頼が成人するまでの間、五大老五奉行の合議に基づいて政権を執り行うよう遺言した。

気弱になった秀吉にしてみれば、藁にも縋る想いであったろう。

秀吉の遺児秀頼はこのときわずか六歳であったわけで、ここにきて秀吉は秀頼のために有力な後見人を事前に用意しようとしたことになる。

秀吉のそうした強い要望に応え、五大老五奉行らは互いに血判書を交わして、「五大老五奉行体制」の堅持を確約し合った。

不安に苛まれる秀吉は、これら五大老五奉行衆に対し遺児秀頼に忠誠を尽くす旨の誓書を繰り返し差し出させた。

豊臣家を存続させるために秀吉はここで五大老(年寄)・五奉行制を設けると共に、「御掟」を定め、さらに「御掟追加」をも定めて死後の体制を固めようとしたわけだ。

大名の力を借りようとする辺りは、今でいうところの社外取締役というニュアンスではあろが、その実彼等は利害関係ありありの有力大名たちであって、秀吉とは多少の信頼関係があったとはいえ、死に際になって他家の者にまで政権中枢に深入りさせたことは大いに懸念されるところではあったろう。

それだけ秀吉も、最晩年には耄碌してしまっていたということなる。

秀吉はいよいよ死期が近づくと、大老徳川家康前田利家とを枕元に呼び寄せた。

そこで家康には筆頭大老として伏見城で政務を司るように、さらに次席の前田利家には秀頼を直接補佐するよう依頼したのである。

そして、ついに慶長3年8月18日辛未(西暦1598年9月18日)、豊臣秀吉は、六十二歳の波乱の生涯を閉じた。

露と落ち 露に消えにし 我が身かな
浪速のことも 夢のまた夢


秀吉の遺言状には次のように書かれている。

秀よりの事             (秀頼のこと)
なりたち候やうに         (成り立つように)
此かきつけ             (この書き付け)
しゆとしてたのミ          (五大老衆に頼み)
申候 なに事も           (申し上げる。何事も)
此ほかにわおもい             (此の他には思い)
のこす事なく候                (残すことはない。)
     かしく

返々秀よりの事               (かえすがえすも秀頼のこと)
たのミ申候 五人              (頼み申す。五人)
のしゆたのミ申候             (の衆、頼み申す。)
いさい五人の物ニ申          (委細は五人の者に申し)
わたし候 なこり               (渡している。名残)
おしく候 以上                (惜しいことである。以上)

八月五日 秀吉 御判

いえやす                    (徳川家康
ちくせん                     (前田利家
てるもと                     (毛利輝元
かけか津                   (上杉景勝
秀いへ                     (宇喜多秀家
      まいる

このとき遺児秀頼に残された秀吉の遺産は莫大なものであった。

秀吉の財産は記帳計数に明るい奉行職の増田長盛長束正家がもっぱら管理統括していた。

ここにきて筆頭大老の家康は秀吉の残したそうした遺産の実態をどうにかして知りたいと考え、あれこれと画策していた。

豊臣家の財力はいかほどのものか、一体どれほどの遺産が秀頼には残されているのか家康は気掛かりであったのだ。

家康は戦略家としての感覚が、このときとばかりに研ぎ澄まされてきていた。

秀吉の死後、秀頼には補佐役を命じられていた前田利家以下各奉行衆が付き添っていたのであるが、前田利家が病に伏せるとそれを待っていたかのように家康は秀吉亡き後の天下人をいよいよ模索し始めだした。


しかしながらいろいろと手を尽くして探らせたのだが、秀吉が残した遺産内容は本来豊臣家の家政そのものに関わるものであるから、ようとして手掛かりとてはっきりした内容が掴めない状況にあった。

人伝えに問いただすにしても微妙な事案だけに何かと差し障りがあるわけで、人任せでは待っているだけではどうにも埒があかない。

そうこうしているうちに、ここにきて次なる展開があった。

周囲から信望を集めていた利家が、大坂に移って2ヶ月後の慶長4年閏3月3日壬子(西暦1599年4月27日)に病没したのだ。

こうなると家康はいよいよ筆頭大老として動きやすくなる。

ここで家康は果敢にも自ら動いたのである。それも強引なものであった。

それまで家康は秀吉の遺言に従って伏見城で政務をとっていたのだが、これを無視して筆頭大老としての立場を前面に押し通して強引なかたちのまま大坂城に入り込んだのだ。

筆頭大老である家康が大坂城に入って何の差し障りがあろうかというわけである。

家康はそのまま大坂城西の丸に居座ると、そこに天守閣を新たに構築すると己の存在を威武して見せたのだ。

家康は筆頭家老としての立場を全面に出して、その後もしたたかに動いた。

大坂城内で家康はさっそく財務担当の増田長盛に秀吉の遺産について詰問した。

ここでの帳簿と現物資産との照合や監査自体そのものは、大老筆頭の家康から見れば当たり前の権限ということになる。

秀吉によって直接大老職を仰せつかっているのだから豊臣家の財務、それも家政や残された遺産管理に自分が関わるのは当然であるという家康のしたたかな力尽くの論法である。

財務官僚の増田長盛長束正家も、こうした家康のごり押しには抗うことも出来なかった。

このようにして、家康は豊臣家の最大の機密をこじ開けることに成功したのであった。

二人の奉行は家康を渋々大坂城地下の御金蔵倉に案内したのだが、金蔵に足を踏み入れた家康は腰を抜かさんばかりに驚いた。

まさに百聞一見にしかずである。

御金蔵に収蔵されている夥しい金銀財宝は床から天井まで積み上げられており、その規模たるや家康の想像を遙かに超えていた。

かって積み上げられた金銀のあまりの重量に耐えきれず太い根太が折れてしまい、幾度となく金蔵倉の床板が崩落したといわれたほどであった。

ただの噂ではなかったのだ。

まさにそこには秀吉の前代未聞の巨額の実物遺産が残されていたのだ。

当時大阪城内の御金蔵倉に貯えられていた莫大な金銀の量というと、帳簿上の記録では金9万枚。銀16万枚であったといわれるが、これを実質掌握しているのは秀吉子飼いの財務担当である奉行であった。

遺産と云っても当時は相続税などはまったく無縁のものであり、これらは後継者秀頼にそのままそっくり引き継がれるのである。

当時の金1枚は10両大判に当たり、米に換算するとおよそ30石の実勢価値があった。

これを細かく算定していくと、金銀を合わせて遺産そのものは240万両から250万両の巨額になるわけで、大坂城の金蔵には日本中の金銀財宝が集められていたことになる。

まさに金銀財宝が腐るほどあったのだ。

その他にも秀吉の遺産としては、黄金の茶室に代表される名物の茶道具・古今の書画骨董・あまたの名刀、さらには夥しい武具・弾薬・兵糧米といったものまで揃っていた。

これに加えて近畿圏の摂津・河内・和泉や直轄領といった全国各地に及ぶ220万石の領国支配から得られる年貢に、全国各地の金銀が採れる鉱山採掘権までもが含まれていた。

分かりやすく、いま風に記せば次のようになる。

・巨額の現金、200兆円規模の現物資産
・巨大な優良不動産、いくつもの強固な城郭防衛設備
・算定できぬほどの価値ある選りすぐりの美術品、骨董品
・優良債権と権利書、鉱山採掘権
・大量の軍事物資、兵糧米、訓練された軍事戦闘要員


家康は豊臣家の内部資料である財産目録と帳簿類、さらには御金蔵の金銀の実物資産とを交互に見比べて、このとき何を思ったであろうか。

秀吉の財力を見せつけられた家康の膝は震えていた。

これだけの巨大な遺産を前にして、この後家康はどのように豊臣家と対峙していくのか。

秀吉の遺産はこのまま秀頼に受け継がれても、10年や20年では到底尽きることはないであろう。

そう考えたとき、武人である家康は思わず武者震いしたはずなのである。


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