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エッセイや歴史情報なども織り交ぜて書いております。柔軟に題材を絞って書いていきますのでどうかよろしくご笑覧のほどお願い申し上げます。

何故に柳原白蓮は夫に絶縁状を書いたのか!

歌人柳原白蓮伊藤伝右衛門との確執
柳原白蓮という歌人の名はそこそこ世間に知られていても、一方の伊藤伝右衛門という名を聞いても一体どこの誰のことだか分からないと思います。

伊藤伝右衛門。武士の名前といよりは何だか商人ぽい響きがあると思いませんか?

今回機会があって、九州の炭鉱王として知られていた伊藤伝右衛門の屋敷を訪れてみました。

明治、大正、昭和にかけて福岡県の筑豊地域は、石炭供給日本一として栄えた歴史があります。

当時「筑豊御三家」と呼ばれた麻生、貝島、安川に続いたのが炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門です。

当時としては相当な財界人であり、大富豪でした。

伊藤伝右衛門は、若いころは魚の行商や船頭など職を転々としながら赤貧生活を続けていましたが、人一倍の才覚と先見の明があってやがて父と手掛けた炭鉱事業が当時の国策の時流にも乗り、のちには“筑豊の炭鉱王”と呼ばれるまでにその事業を拡大していきました。

物心ついたときには世間に出て働いていたのですから、まともに学校に行くなどと云う余裕はありませんでした。

伊藤伝右衛門は苦労を重ねて財を成した人物でしたが、無学であり文盲同然であったといいます。

それだけに学問や文化には、人一倍強い憧れも持っていました。

伝右衛門は明治43年に、長年苦楽を共にした妻ハルが45歳で病に倒れ他界してしまいます。

妻を失った伊藤伝右衛門は1911年(明治44年)に50歳にして、突然25歳の伯爵柳原前光の娘・燁子(あきこ-白蓮)を迎え入れる事となります。

どのような経緯があったのか判りませんが、多分にこの当時の結婚には政略的な事情も背景もあったようです。

しかも伯爵家では、財政的には苦しい状態で、どうやら多額の生活資金を必要としていたのは確かなのです。

当然伊藤伝右衛門の事業そのものは、全ての面において当時の国策に乗った政治的色彩の強い世界との繋がりがありました。

伝右衛門にしてみれば、それだけ財力に見合った格式というものが後ろ盾として必要とされていたということにもなります。

当時としては、そのようなときには結婚による確かな血縁関係を持つことが手っ取り早い手立てだったわけです。

筑豊という土地柄で並外れた才覚と持ち前の男気で成り上がった九州男児だけに、伝右衛門には多少粗野な部分もあったとは思いますが、社交的で人間的にはとても豪快な人物だったといわれます。

筑豊という土地柄では、その当時はそうした男気がもっとも持て囃された時代でもありましたし、気性の荒い男衆との交渉事ではそうした度量の大きさがものを言ったのです。

しかも事実当時の多くの労働力を確保する必要があった筑豊では、伝右衛門のような肝の据わった人物でなくては収拾できないような騒擾場面も度々あったのです。

実際に大きな事業を企てる過程においての彼の経営手腕や人心把握には、素晴らしいものがありました。

それだけに当時の筑豊は、伝右衛門の力量がもっとも反映された時代でもあったのです。

この地域は彼の手によって経済的な発展の基盤が形作られたということは確かにいえると思います。


一方の燁子は、柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん)として、歌人ということではその世界では有名な洗練された女性でした。

彼女は大正の三美人の一人ともいわれ、しかも伯爵家の令嬢ですからそれだけでも大変な格式と名声とが備わっていたのです。

このときの両家の結びつきとしては、一方は華麗な家柄を望み、その一方では潤沢な財政支援を切に望んでいたのは確かでした。

もとよりそうした両家の思惑に一方的に白蓮が利用されたのだと云うことも出来ます。

両者の年齢差ももちろんですが、学歴や学問に縁遠い伝右衛門と歌人白蓮との組み合わせは、やはりどこかに無理があったのではないでしょうか。

明らかに双方の育った環境も価値観はまったく異なっていたはずです。

結果的には二人の結婚生活はうまくいきませんでした。

ただ、伝右衛門自身は男としてそれなりの努力はしていたように思えるところがあります。

そのための準備に伝右衛門は気を傍目にも遣っていました。

二人の住居となる屋敷を増築改造したりして、花嫁の格式と生活環境に出来るだけ合わせようとしました。

若い花嫁を迎えることになった伝右衛門が、当時の日本建築の粋を集めて改築したのがこの「旧伊藤伝右衛門邸」というわけです。

筑豊伊藤伝右衛門の屋敷と云えば北部九州一円ではそれなりに知られていました。

現在では、この「旧伊藤伝右衛門邸」が誰でも自由に見学できるということで、今回行ってきました。

ここは敷地面積約7570平方メートル、建物延床面積約1020平方メートルということで、約2300坪の敷地に建坪300坪のお屋敷ということになります。

結婚前に家屋内の設備や細部に手が加えられていて、家財などの調度品はもとより可能な限り当時の最先端の高級な物が揃えられていました。

さらに伝右衛門の広大な屋敷は和風建築でありながら、随所に洋風の新しい設備が取り入れられていました。

伝右衛門は、結婚に際して屋敷を整えるのに京都から腕利きの大工をわざわざ呼び寄せたといいます。

屋敷の随所にそうした心配りが見られます。

外観は立派な日本家屋ですが、天井も高くガラス窓に囲まれた洋風な造りの食堂やマントルピースのある立派な応接間もありました。

もちろん多人数で仕える広い座敷もいくつも備わっています。

洋風な応接間の隣には、新聞記者や来客の付き人のための広い控え室までが用意されていました。

しかも庭が見渡せる2階の白蓮の部屋の傍には、当時では珍しかった水洗トイレが設置されていました。

この二階屋にある立派な洋風トイレには驚きました。

明治末、大正初期の水洗トイレ設備ですから驚きです。

伝右衛門と白蓮は共に約10年間の時をこの屋敷で過ごしますが、ご存じのように白蓮はここから波乱万丈の恋物語を展開していきます。

見学した邸内には、白蓮関連の資料館も敷地内に別棟でありました。

そこで有名な白蓮の伝右衛門への絶縁状も見てきました。

私は今あなたの妻として最後の手紙を差上げます」という書き出しで始まる文面です。

当時この絶縁状は一方的に大阪朝日新聞紙上に公開されたもので、相当にセンセーショナルなものだったようです。

このときの伝右衛門は白蓮に対して何の反論もしませんでしたし、離婚後も一切の反論弁明もするなと伝右衛門は周囲に言い残したと云います。

彼にもそれ相応の言い分はあったでしょうが、あえて口を閉ざしたまま男らしく耐え凌いだということになります。

白蓮を傷つけるような言動がなかったのは、彼女や伯爵家をおもんばかっての対応だったのでしょう。

しかしこのことで二人の結婚生活は破綻してしまいます。

伝右衛門と白蓮とは10年間共に夫婦として暮らしても、互いには精神的に満たされない想いというものが次第に生じてきていたのです。

ここらは当事者同士にしか判らないところですから、勝手に想像するしかありません。

しかも二人の間には屋敷内でも常に他人の目が介在していましたし、必然的に両者の間には夫婦らしい会話も途切れて距離が生じても居たのです。

結婚生活といっても、それは多くの使用人に囲まれた王侯貴族の生活スタイルに似ているようでした。

しかも伝右衛門は外交的なだけに多忙すぎる仕事人間であり、屋敷を留守にすることが多かったのです。

そこには妻として、女性としてのやり場のない不満や苛立ち、不信感、孤独感がつのっていったであろうと思われます。

それを助長するだけの無駄な広大さというものが、この屋敷にはあるように思えました。

そうした殺伐とした夫婦生活は結局続きませんでした。

その痛ましさ、そして根本的に価値観の異なる男女の間で相互の理解も尊敬も交わされず、そこにはただぎすぎすした軋轢だけが際立ってみえるという、そうした何とも言いようのない空しい情念の渦巻く世界を垣間見えてくるたようにも思えました。

それが、この大名屋敷のような広大なお屋敷では日々繰り返されたということになります。

とにかく広過ぎる居住空間だけが、どこまでもずっと続いているという感じでした。

皮肉なことですが、訪れた者が目にする豪華な造りのお屋敷は、ここではまるでそうした事象をことさら大きくして、これ見よがしに顕現化して見せてくれているようにも思えました。

物語のシチュエーションを膨らませるということでしたら、それは十分過ぎるほどのものというべきものです。

まさにそういう意味では、ここは二人が演じた大きな劇場であり、その記念的建造物であったというべきかも知れません。


伊藤伝右衛門







手紙/柳原白蓮




 

大阪朝日新聞紙上に掲載された絶縁文

白蓮の伝右衛門への絶縁状






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