カネマサ電磁波波動コンサルト

エッセイや歴史情報なども織り交ぜて書いております。柔軟に題材を絞って書いていきますのでどうかよろしくご笑覧のほどお願い申し上げます。

文芸作品である名作映画「糞尿譚」を覚えていますか?!

懐かしい火野葦平文学の世界

時代と共に新しいものが生まれ出てくると、その一方では世の中から次第に失われていくものがある。

それが時代の変化であり、世の中の流れである。

それは人々の記憶の中の出来事であったり、あるいは記録として残る映像や文学作品である場合も少なくはないであろう。

消えていくと云うことではある種の郷愁を覚えるものだと云えようが、郷愁というよりはより鮮烈な映像そのものであったりするように思う。

いささか大仰な云い方ではあるが、そうした事例の一つが火野葦平の文学作品の世界である。

以前目にした海外ニュースにこのようなものがあった。


①突然「商店街でバキュームカー爆発、容赦なく降り注ぐ「黄金の雨」・・・中国報道「悲惨すぎて直視できない」=広西サーチナ 2014年12月29日(月) 」

あたり一面に、容赦なく降り注いだ。“黄金の雨”だ。商店も屋台も、人々も浴びて染まった。商店が連なる一体だ。茫然とする人がいた。口と鼻を押さえて逃げる人もいた。広西チワン族自治区河池市の商店街で26日、バキュームカーが「爆発」した。事件直後の画像が公開されたが、「悲惨すぎて直視できない」と表現したメディアもあった。」

 http://jin115.com/archives/52060362.html

②2011年1月26日には、中華人民共和国広東省広州市海珠区において、バキュームカーのホースが爆発する事件が発生。現場では汚物が近くの民家にまで飛び散り、「汚物の川」が流れ、天まで立ち上る臭気が漂ったという。なお、バキュームカーの運転手は屎尿を盗もうとしており、ホースが爆発した後は汚物を撒き散らしながら逃走した。
https://www.news-postseven.com/archives/20110709_24751.html

奇しくもそのとき目にしたニュースというのは、中国で糞尿を満載したバキュームカーが街中の商店街で突然爆発したというものであった。

現場が街中だったこともあって、周辺に相当な被害があったらしいのだ。

バキュームカーといっても、いまの若い人は何のことか分からないと思う。

それはガソリンタンク車を小型にしたような車両で、かって昭和三〇年代当時に登場してきていた。

半世紀以上以前のことである。

大きなタンクと吸引用の太いパイプを三輪トラックに乗せた、いわゆる特殊車両であった。

消防自動車同様長いホースで空気圧による吸引放出が出来るもので、車体の後部には大きなタンクが載せられていた。

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私は中国発のニュースを目にしたとき、反射的に子供の時分に映画館で観た白黒映画の「伴淳・森繁の糞尿譚」をすぐさま思い出していた。

当時7,8歳の頃だったと思うから、これもまたいまから半世紀以前の昭和の文芸作品ということになる。

「糞尿譚」といえば火野葦平原作の小説であって、その原作は昭和12年芥川賞受賞作でもあったのだが、戦前とは思えない作品の斬新さとそのテーマに驚かされる。

戦後の1957年に小説をもとにして、野村芳太郎監督によって『伴淳・森繁の糞尿譚』の題名で映画化されたのである。

それが何年か後に地方の小さな映画館にも掛かったのである。

「糞尿譚」は父親に連れられて映画館に行って観たのであるが、それはチャンバラ活劇と抱き合わせだったのかも知れない。

大人向けの映画は映像を楽しむだけでストーリーそのものは子供にはさっぱり分からないのだが、「糞尿譚」は場面展開が面白かったので画像だけが記憶に残った。

後からかそれらの場面を思い出していくと、次第にストーリー展開が理解できてくるというわけである。

当時の映画の「糞尿譚」そのものは白黒ではあったが、そこには若々しい森繁久弥伴淳三郎が出演していた。

森繁久弥伴淳三郎はそのとき始めて目にしたのだが、個性的で面白い人たちだと思った。

映画「糞尿譚」は大人が観る社会派のコメディ仕立ての文芸作品であって、当時子供であった私にも部分的には意味不明なところもあっても、十分理解できるような内容の刺激的な傑作映画に思えた。

とにかく面白かった。

半世紀前の映画の記憶があるのだからそれだけ鮮烈であったし、現代でも充分評価される素晴らしい作品といえる。


映画「糞尿譚」はでは主人公(伴淳三郎)は汚物を扱う仕事に従事しているのだが、そこには周囲の人々の職業的偏見や抑圧された歪んだ世界があった。

いまでいう社会的な差別意識そのものであったと思う。

お人好しの主人公は仕事として日々懸命に努力するのであるが、公共性がある一面その裏では町の権力者らに馬鹿にされたまま、いいように利用されていく惨めな立場が私のような子供が見ていても分かるのである。

糞尿処理といっても当時の日本は下水道設備もバキュームカーもないような時代であったわけで、田舎では農家の人がリヤカーに大きな桶を積んで人力で運んでいたような記憶がある。

各家庭ではそうしたいわゆる人力による汲み取り作業で糞尿は処理されていた。

今と違って当時は糞尿そのものが肥料として重宝されていたのであるが、そうでもなければ容易に処理できにような状況ではなかったのは確かである。

昭和40年代になって、ようやく地方でもそうした汚物を処理する衛生社の特殊車両であるバキュームカーが普通に見かけられるようになってきていた。

それこそ当時としては画期的なことであった。

そうした戦後の時代背景もその映画には反映されていたのだと思う。

映画「糞尿譚」では、人のいい糞尿汲取業の主人公が町の権力者や頭のいい者たちに騙されうまく利用された上に、さんざんに虐げられるのである。

糞尿汲取業も次第に公共性、社会性ということで大きな利権が絡みだすと、手のひらを返したように町の権力者側の対応が変わり、さらには主人公からその仕事さえもを奪い取ろうとする。

この映画に出演していた森繁久弥は、若いながらも独特の詐欺師としての風格を見事に演じていた。

映画を観ているだけで、ここらは子供にも分かる場面展開であった。

最後には耐えに耐えた主人公の怒りが一気に爆発する。

主人公は肥え樽に糞尿を満載したままトラックで街中を走り廻りながら、それまで彼を散々馬鹿にしてきた人々に向かって、「貴様たち、貴様たち!」と大声で連呼しながら車上から糞尿を豪快に四方八方に撒き散らす。

トラックの荷台から杓で糞尿をまき散らしていたのは、確かに主役だった伴淳三郎だったと思う。

にぎやかな街の中心部も糞尿がまき散らされる。

突然の騒ぎで表に飛び出してきた町の顔役や、主人公を冷たくあしらった小生意気な芸者衆にも容赦なく黄金の糞尿が襲う。

まさしく阿鼻叫喚である。

このとき映画館内が大いに沸いたのを思い出す。

子供心にもおなかを抱えて大笑いしたのを昨日のことのように覚えている。

当時の映画は白黒であったから、こうした作品も造り得たのだと思う。

カラー作品だとリアル過ぎて、とてもではないが正視するのは無理だと思う。

今回の中国のニュースも、おそらくすぐさま報道規制が掛かっていたのではあるまいか。


原作の「糞尿譚」もすこぶる傑作である。

この作品は青空文庫に収録されているので、是非この機会に一読されたい。



青空文庫」糞尿譚 火野葦平 

 http://www.aozora.gr.jp/cards/001488/files/51168_53838.html


 
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