カネマサ電磁波波動コンサルト

エッセイや歴史情報なども織り交ぜて書いております。柔軟に題材を絞って書いていきますのでどうかよろしくご笑覧のほどお願い申し上げます。

異次元空間にちょとだけ足を踏み入れてしまいました!?

人の魂は量子的麺汁状態になるらしい?!

幼い頃に杉浦茂の傑作マンガ「猿飛佐助」を目にしたことがある。
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随分むかしの話しであるが、主人公の猿飛佐助が敵の秘密の部屋に忍び込むと、そこには巨大なコッペパンがどでんと置かれてあった。

猿飛佐助はそのコッペパンに驚くと同時に、大喜びして巨大コッペパンをパクパク食べながら穴を広げてパンの中に潜り込んでいく。

美味しそうなパンならば猿飛佐助でなくとも思わず飛び付きたくなるところであるが、その巨大なコッペパンは敵が仕掛けた罠だったのだ。

コッペパンは猿飛佐助に食べられて、次第に内部にはトンネルのような通路が出来上がっていった。

普段目にするコッペパンが巨大化するという発想や巨大なパンの内部に人が通れるようなトンネルが造られていくという意外性、とにかくこうした展開が何だかとてもシュールで、すこぶる愉快な漫画であったという懐かしい記憶がある。

ところで先日も、つるつると素麺を食べていてふと頭に閃くことがあった。

一本々の素麺はまった同じ素材でありながら、それらが麺汁に浸かったまま個々に密着したままずるずると口に入っていくことを考えたとき、またしてもシュールでへんてこりんな考えが突然頭に思い浮かんできた。

素麺という細長い物がお椀器の中に同時に何本も存在していながら、それらは麺汁がつるんと絡んでより複雑な風味になってくる。mae-mu-vjVHYlk91Vk-unsplash

そこにはお椀の中で素麺と麺汁がほどよく調和の取れた感じで存在しているわけである。

それが口の中で一杯に広がるのである。

ここでいきなり話しは一気に変わるのであるが、最近の物理学の世界ではパラレルワールド(平行宇宙)とかマルチバースとかいう理論があることが知られている。

というのもふと何気なく素麺の入った椀をみていて、とっさにこのパラレルワールドの存在を思い出したのだ。

突拍子もない話しの展開で恐縮なのだが、いわゆるパラレルワールドとはわれわれが知っている宇宙は一つではなく、異空間に別の宇宙が同時に存在しているというユニークな最新の物理学理論の一つである。

SF的発想とも採れるのだが、その理論自体はすこぶる愉快である。

通常は平行世界(宇宙)とも云われるのだが、我々の住む世界とは別個の世界が存在しながら、それらの宇宙どうしが密に重なり合っている状態にあるというのだから面白い。

つまりはいくつもの平行世界を同時に俯瞰できるより高い超次元があることさえも、これは暗に示唆していることになる。

異空間などは実際に見ることは出来ないのだが、別の宇宙があるとなると何だかこれは知的で面白い未知のミステリアスな領域の話しになってきてしまう。

それはまるで集合住宅さながらに隣には同じような空間が別個にいくつも存在していると云うことであるのだが、実際には集合住宅の一室に住んでいる住人の目線とは別に、外から住居が並んでいる構造物全体の様相を眺めている新たな目線がそこには同時に存在し得るというわけである。

それは個々の宇宙や地球がまるで店頭のキャベツやスイカのようにいくつも並んでいる情景とどこか似ていよう。

当然そうした別世界・別次元にも同じように地球そのものがあるわけで、しかもそこにはこちらとそっくりな地球人類さえもが存在しているといことになるのだという。

そっくりということは、ここでいきなりクローン世界やクローン地球、さらにはクローン人間の登場となってくる。

早い話、それらの平行世界にはあなた自身がもう一人存在しているという話しにもなってくるのだが、面白いことに最近になってこうした異空間の存在が物理学の分野ではにわかに注目されてきている。

難解な物理学の世界の話ではあるのだが、とにかく至極真面目で興味深い話題であることに違いはないのだが、当然のことながら話しが話しだけに誰しもにわかには信じられないはずである。

次元空間を越えた世界に同じ人間が存在してというのだから一種のクローン人間にも似た存在ということになるのだろうが、よくよく考えてみると別世界にはあなたとは限りなくそっくりなもう一人のあなたが存在しているわけであり、ここらの展開には誰しも戸惑わずにはおられない。

いやいやそうなると自分という存在は、どこまでも相対的な存在でしかなかったと云うことになってきてしまうではないか。

であれば唯一絶対の本物の自分というのはどこにいるというのだろうか?

とはいってもこれはどこまでも理論上の話しであって、実際にそれらの別世界を訪れて確認することなどは出来ないのだから、ここで何も慌てる必要さえないのだ。

しかしながら、最新の物理理論によるとこの平行世界(宇宙)の数は一つや二つではなくて、マサチューセッツ工科大学のマックス・テグマーク博士の理論から導き出された計算によると、この世界で観測可能な宇宙とは別の異次元宇宙が、何と10の10乗の118乗個も存在するというのだから驚きである。

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そうした沢山の宇宙を数える単位などは知らないのだが、10の10乗の118乗個となると、とにかくもうめちゃくちゃ無尽蔵にあるということになる。

つまりは、あなたという人間も異次元コピー人間として、10の10乗の118乗の数だけ理論上では存在し得ると云う話になってくる。

そうなるとこの世界のあなたと見分けの付かないまったくそっくりなクローン人間もどきのあなたが別世界に10の10乗の118乗人存在するはずであり、それらの平行世界でもほぼ同じ環境と運命とを共有しているものと考えられるのだ。

気が遠くなる話である。

早い話、そこにいるあなた自身は10の10乗の118乗人分の一人ということになるはずだし、おそらくクローン人間もどきのあなたの身体そのものは、すべてが量子的にはまったく同一の分子量でそれぞれ存在していることになるのであろう。

おそらく容貌も性格もほぼ同一と考えてもいいではあるまいか。

まさしく猿飛佐助もたまがる分身の術なのだ。

とにもかくにも平行世界では別のあなたが現世界と同じように誕生していて、それぞれの境遇と環境の下に生活しているというわけだ。

ここにきてそんな馬鹿な話しがあるものかとことさら憤慨される向きもあるであろうが、しかしながら本当に面白いのはここから先である。

それでも平行世界は量子力学的な別世界であるから個別に変化していく部分があって、異次元空間のクローン人間もどきにさえも量子もつれによる僅かなパラメーターの変化が出てくるものと思われる。

クローン世界にあっても断面が金太郎飴のような、そのままコピーの別世界があるわけではないらしい。

そこには量子力学的な揺らぎがあるのだ。

人生では時たま大きな岐路や選択を迫られることがあるように、平行世界ではこうした事象の下でクローン人間もどきの置かれる環境パラメーターにはそれぞれ微妙なかすかな波動の違いとして、物理的なバタフライ効果(butterfly effect)が働いてくるはずである。

もちろん今のあなたが置かれている生活環境や境遇に比較しても、平行世界では多種多様な格差や差異が生ずる可能性があるわけだから、「あのときこうしておけばよかった」、「あのとき彼女と別れなければよかった」、「あのときこの会社に就職すれば良かった」という、いわゆる限りなく出てくるIFの世界がそれぞれのパラメーターで具現化されているのではないかと考えられる。

強く思念したことは、量子的波動としてどこかで量子力学的トンネル効果を介して別世界で具現化しているのだと思う。

たとえば現世界で成功しているあなたも平行世界のあなたは意外にも貧困にあえいでいるかも知れないし、あるいは結婚に失敗したと思っているあなたは別世界では別の素晴らしい伴侶を得て幸せを手にしているのかも知れないのだが、別世界ではそれさえも時空間の僅かな揺らぎに過ぎない。

平行世界が存在しうると云うことから見れば人の幸不幸というのは相対的な事象であって、異次元のパラレルワールドにはむしろそうした蓋然性のパラメーターが働いていることで、きわめて精緻な量子的なバランス構造そのものが保たれている可能性がある。

早い話、平行世界ではすでに人類の存亡を左右するような大きな戦争が起こっている事象さえもあり得るだろうし、時空間によっては現世界からみて過去未来の多様な別世界も素麺の束のように整然と平行して並んでいるのではないだろうか。

そうした量子的時空間であれば尚のこと、未来の事象が過去に影響を与える逆行性もここでは成り立つではないか。

それぞれの別世界は、量子的麺汁にも似た緩やかな超時空にただ浸っているだけなのかもしれないのだが、別世界自体はその濃厚な麺汁を介して相互に量子的な情報の流れが存在しているのかも知れない。

ますます量子トンネル効果が意識されてくるわけで、やはりここらのイメージとしては素麺と麺汁がぴったりとくる話しなのだ。

 

濃厚な麺汁に整然と浸っていることで平行世界どうしが相互に共振したり増幅したりして交流しているのかも知れないし、量子的に干渉し合っているのかも知れないとも思うわけである。

人間自体がそもそも量子的存在であるとするなら、猿飛佐助の分身の術のようにそれぞれの世界に同時に存在することも可能であろう。

量子的人間を主体として考えてみると、そもそも人の意識レベルでは明確な量子的変化が脳内にあるとされているわけで脳そのものは量子コンピューターなのだ。

そうなると脳の精神活動そのものが、そのまま量子の世界なのだと云えそうである。

そのままの身体では平行世界への移行はできないとしても、あるいはこうした量子的意識レベルでは可能な場合もあるのかも知れない。

たとえば死後に霊魂なるものが量子的な情報として存在するのであれば、容易に平行世界へ量子情報として移行が出来るかも知れないと思うのである。

移行する際にそうした何らかの生前の記憶が量子的レベルで保たれている場合は、平行世界の様相そのものがより複雑になるはずである。

たとえば前世のことを記憶している人が実際に存在しているという事実があるのをご存じだろうか?(前世を記憶する子どもたちイアン・スティーヴンソン笠原敏雄日本教文社

人の記憶自体が量子的情報なのかも知れない。

異空間の麺汁そのものはそうした量子的レベル状態にあって、それこそパラレルワールドをひたひたと浸したまま包み込んでいるということであればそうした発想も出てくる。

さてここで唐突に思うのだが、一体人は死んだらその記憶や魂どうなるのか?永遠に消滅してすべて無になるのであろうか?

最近亡くなった作家の遺稿には最晩年には死への恐怖が赤裸々に書かれていてたのだが、そうした知識人でも己が消滅してしまう死の恐怖というのは容易に克服出来ないものなのだ。

それこそ生命の終焉、人の死とは何かという遠大な謎なのだ。

古代中国人は多くの英知を集めてこの疑問を真剣に究明しようとしたのだが、古代人の英知が導き出した答えはそれなりにユニークなものであった。

二千年前の古代中国人は、まず最初に宇宙の成り立ちから説き起こす。

まずどのようにして宇宙は生まれたのか?

時間はいつ生じたのか?

天体はどのように創成されたのか?

まるで現代の理論物理学者の発想そのものである。

たしかに紀元前二世紀に編纂されたという『准南子』天文訓に、「天地の襲精は陰陽となり、陰陽の専精は四時となり、四時の散精は万物となる。積陽の熱気は火を生じ、火気の精は日となり、積陰の寒気は水となり、水気の精は月となり、日月の淫れて精となるものは星辰となる。天は日月星辰を受け、地は水潦塵埃を浮く。・・・」とある。

宇宙の始まりはもとより無であって、そこにまず太極から陰陽の両極が生成され、この宇宙に時間というものが出来たのだとされている。

ビックバンともいえる宇宙創世開闢の展開そのものであるといえる。

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陰陽二元とは正反する性質の物を意味していて、現代風に表現すればそもそもそこに物質が存在すると云うことは、物質そのものに反物質が同次元的にぴったりと重なっていると云うことを意味している。

陰陽はそれぞれ同時にスピンするのであるが、どこまでもその方向が真逆なのだ。

古代においては現象世界に存在する物は、すべてこうした陰陽二元から造られるエネルギー状態から成っているとみるのである。

陰陽自体は物質として現れるとその力(質量とスピン)は物理的には全く同じであるのだが、そこに同時に存在していながら全く逆の性質と方向性とをもつというものである。

しかしながら人間の眼ではこの相反するエネルギー場そのものの働き自体は視覚的には同時に捉えられないわけで、だだその片方の現象だけを具象化された物(映像)としてわれわれは目にしているに過ぎない。

古代人の考えでは、この陰陽のエネルギーが和合すると宇宙の万物、さらには生命体までもが生成されるというのである。

このことは古代の素朴な自然哲学に過ぎないと単純にみなされているものであるが、現代の量子力学との関連性が窺えて非情に興味深い部分であるわけだが、こうした陰陽二元から生じた万物の中でも生命体である人体はもっとも精緻な存在であると認識されていた。

まさしく古代の原始物理学理論、原始量子力学領域の話である。

そもそも人体のひな形とされるのは大宇宙そのものであって、人体は小宇宙であるとされるのだが、その人体の生命エネルギー(陰陽のスピン)が消退すれば最後は死を迎えることになる。

そして一体人が死んだらどうなるというのか?

有形である人体そのものは陰陽に分離してしまい、体はそのまま元の原子の状態に還るのだという。

ただし人は死にとって肉体は陰陽原子に分解され離散するが、これはそのまま完全消滅を意味しているわけではなかった。

人としての元の構成因子である陰陽原子は本来の陰陽原子としてこの世界に存在し続けることを意味しているし、結局のところ物体物としての質量そのものは保存されるということになる。

人体そのものは死ねば土塊のように大地に還るということであり、ここらは目に見える範囲の事象として現代人にも納得がいくところではある。

ここから先にもさらに続きがある。

そもそも人間には、精神活動の根源となる無形の「魂魄」なるものが体には宿っているとされていた。

人体自体は「魂魄」の容器という捉え方であるのだが、ここでも無形の領域にまで陰陽二元論はしっかりと網羅されている。

人の死によって人体に宿っていた無形の「魂魄」そのものはそのまま消滅してしまう訳ではなく、「魂」と「魄」とに別れるのだという。

そして「魂」は天に還り、「魄」は地に還ることになるという。

こうなると無形の「魂魄」だけにどうしても観念論な話になってくるのだが、それでも個人的にこの考え方はとても気に入っている。

古代中国独自のそれもインド仏教が伝播してくる以前の古典的な捉え方であるだけに、ここらは非常に興味深いわけである。

しかも人は死んでも「魂」はそのまま自然消滅するのでもなく、無となるわけでもないが、それでも存在しているというのだから捉えようがない。

そうなると「魂」なるものは眼には捉えられない量子的情報そのものである可能性も出てくるのではないか。

少なくとも人の「魂」は天に還り、量子トンネルを潜って超次元の量子的麺汁に還った「魂」は、さらな別の平行世界へと時空を越えて転移するのかも知れない。

ここではコッペパンのトンネルではなくて量子トンネルをくぐり抜けたら、そこはパラレルワールドの別世界であった!ということになるわけだ。

今回素麺を啜りながら唐突に考えたことというのは、結局その量子的麺汁の内には夥しい平行世界の時空がいくつも漂いながら浮かんでいるに違いないという突拍子もない発想からであった。






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